孟子人生格言(孟子 もうし)
もくじ
1、孟子(もうし)はどんな人? どんな人生を歩んだ?
・孟子は、孔子の死後約100年後(約前372年)に、鄒(すう)に生まれる。名は軻(か)。この時代は戦国時代の中頃で、孔子の時代より弱肉強食の風潮が強まっていた。
・孟子の青年期までの人生については、明らかではない。後半生において、魏(梁)・斉・宋・薛(せつ)などを遊説(ゆうぜい)してまわり、王へ政治的アドバイスを行う。しかし、弱肉強食の戦国時代だったこともあり、真に孟子の思想を理解・実践してくれる王とは巡り会えず、晩年は故郷に戻り弟子の教育に努めた。
※孟子の幼少期のエピソードとして、「孟母(もうぼ)三遷(さんせん)」と「孟母断機(もうぼだんき)」が挙げられるが、これは後世の創作だとされている。
・孟子の思想は、仁をはじめとする道徳や、それを規定する礼を説く点で孔子の思想と同一である。ただし、戦国中期という時代背景を反映してか、より先鋭となっている。
・孟子の性格を一言で述べるなら、「気が強くて雄弁で理想家」。上の立場の人物を相手にしても、全く遠慮せず、自身の理想を情熱的に説く。
2、仁義に基づいた政治を行うべし!
【本文(現代語訳)】
孟子が梁(りょう)の恵王に謁(えっ)見(けん)した。王が言った。「先生は千里の道を遠しとせずにおいでくださった。先生もまた、他の先生方と同じく我が国に利益をもたらしてくれることと存じます。」
孟子は、かしこまって答えた。「王様、どうして利益のことなど言う必要があるのですか。ただひたすらに、仁義のことだけ気にされたら良いのです。今もし、王様がどうしたら自分の国に利益になるのかと問われ、大臣はどうしたら自分の家に利益となるのかと考え、官吏や庶民はどうしたら自分の身に利益となるのかと考え、身分の高い人も低い人も利益を求めると、国は危機におちいるでしょう。
膨大な兵力をもつ大国において、その君主を殺す者は、それなりの兵力を率いる部下です。それなりの兵力を有する国で、その君主を殺す者は、少しの兵力を率いる家来です。(中略)
もしも、義理を後回しにして利益を先にとろうとしてしまえば、君主の財産を奪い尽くさなければ飽きたらない、ということになります。世の中で仁の心を行っているのにも関わらず、自身の親を捨てたという者はいません。義を行っているのにも関わらず、自身の君主を尊重しない者もいません。王様はただ仁義のことだけをお気になさったらよいのです。どうして利益のことなどおっしゃるのでしょう。」と。(梁恵王上)
・利益重視の国家運営は、自身(君主)を滅ぼしかねないことを指摘した上で、仁義・義理を重視さえすれば、自身は安泰だと説得する。
・基本的内容は、孔子の思想と共通する一方、話し相手の立場を考えた上での弁舌が光る。そして、しっかり自身の理想とする政治思想を宣伝している。
・「人は生まれながらに善なる性質を持っている(=性善説)」と見なす孟子も、環境によっては下剋上や反乱を起こしてしまうと考えているようである。
Q:あなたは、本当に仁義・義理を優先して行動すれば、おのずと利益もついてくると思いますか?
3、「民のための政治」と革命の是認
【本文(現代語訳)】
孟子がおっしゃった。「暴君の桀(けつ)王(おう)・紂(ちゅう)王(おう)が天下を失ったのは、人民を失ったからである。人民を失ったとは、人民の心を失ったことを意味する。天下を手に入れるには一つの方法がある。人民を手に入れることであり、そうすればすぐに天下を手に入れることができる。人民を手に入れるには一つの方法がある。人民の心を手に入れることであり、そうすれば人民を手に入れることができる。
人民の心を手に入れるには一つの方法がある。人民の希望するものを彼らのために集めてやり、人民の嫌がるものを押しつけない、ただそれだけでよいのである。人民が仁徳に惹かれるのは、まるで水が低い方に流れ、獣が広い草原に走り去るようなものだ。(後略)」(離婁上)
・孟子によれば、「人民のための政治」を行いさえすれば、天下を得ることができる。
→この言葉は、当時、天下を得ようと富国強兵に努める諸候達への痛烈な批判としても捉えられる。
【本文(現代語訳)】
斉(せい)の宣(せん)王(おう)が尋ねた。「殷(いん)の湯(とう)王(おう)(桀(けつ)王(おう)の元家臣)は、夏の桀王を放逐して天下を取り、周(しゅう)の武(ぶ)王(おう)(紂(ちゅう)王(おう)の元家臣)は、殷の紂(ちゅう)王(おう)を討伐して天下を取ったという。それは歴史的事実か。」
孟子が答えた。「そのように語り継がれています。」「それなら、臣下として君主を殺してしまうことは、是認されているのか。」「仁徳を破壊する人を賊と言いますし、正義を破壊する人を残と申します。残・賊の罪を犯した人はもはや君主でなく、単なる一人の民です。私は武王がただの人の紂を滅ぼしたとは聞いておりますが、君主である紂を殺してしまったとは聞いておりません。」(梁恵王下)
・孔子(もしくは儒家思想)では、基本的に君主=上の立場の人物には逆らうべきではないという価値観である。一方孟子は、君主が君主としての振るまいができていない場合、革命(天命を革める)を起こしてよいと述べる。儒家の中だと過激な思想である。
→とはいっても、孔子自身も「正名(肩書きに相応しい振る舞いを行うべき)」の思想を述べているので、全く逸脱しているという訳でもない。
Q:あなたは、自分より上の立場の人が「らしい」振る舞いをできていなかった(例:役職に見合った実力がない)場合、下剋上をしてもよいと思いますか?
4、性善説=人には本来的に善なる素質が備わっている!
【本文(現代語訳)】
人間には誰でも、人の悲しみに同情する心を持っている。例えば今ここに、よちよち歩きの子供が井戸に落ちかけているのを見た人がいたとする。その人は、必ず驚き慌て、いたたまれない感情にあり、助けに駆け出すに違いない。この行為には、「子供の両親から報酬を貰おう」「周りから賞賛されたい」といった下心が存在しない。また、無情な人間だという悪評を立てられることを心配した上での行為でもない。
このことから考えると、惻隠(そくいん)(他人の不幸を哀れむ)の感情を持たない者は人間ではない。羞(しゅう)悪(お)(悪事を恥じ憎む)の感情を持たない者も人間ではない。謙遜の感情を持たない者も人間ではない。是非(物事の正邪を判断する)の感情を持たない者も人間ではない。
この惻隠の感情は、仁の始まりである。羞悪の感情は、義の始まりである。謙遜の感情は、礼の始まりである。是非の感情は、智の始まりである。人がこのような四つの「始まり」を備えていることは、人間が四肢を備えているようなものである。(中略)この四つの「始まり」を自分の内に備えた人は、誰でもこれを押し広げ育てることができる。(後略)
・いわゆる孟子の「性善説」とは、厳密に言えば「人は生まれながらにして、「惻隠」「羞悪」「謙遜」「是非」の感情を有している」というものである。現代でも「生まれつき悪い人はいない」と述べる人がいるが、その考えに通ずる。
・論理というより、感情に訴える論調。論理的に指摘すれば、人間に惻隠の感情が備わっていることは、井戸の話である程度補強されているが、残りの「羞悪」「謙遜」「是非」については、なぜ生まれながら人間に備わっているのか、説明が全く無い。
性善説の理由
・なぜ孟子は性善説を唱えたのか?これにはいくつか理由が考えられるが、第一に、「徳や礼による政治が行われるためには、人間の本性が善であることが絶対の条件であったから」が挙げられる。道徳や礼は、法と異なり罰則がなく、強制力に乏しいという性質を持つ。たとえ不道徳な行為やマナー違反を行っても、せいぜい周囲の人に批判される程度である。
→仮に、人間の本性が悪だとするなら、拘束力のない道徳・礼に従うはずがない。従って、孟子(や他の儒家)にとって、人間には本来的な善性が備わっていなければならなかったのである。
・第二に、中国に古くから存在していた「性(人の本来的性質)は天より授かったものである」という認識を継承したからである。中国では、人間を含めたあらゆるものは「天」から生まれると考えられており、さらに天は善性を持つと信じられていた。従って、「人は善なる存在の天から性質を授かったということは、当然人も本来的に善である=性善説」というロジックへ繋がった。
(なお、「天性」「天才」「先天的」「後天的」という言葉から、天と人間の性との密接な関係性を窺うことができる)
・この人間の本性=善という人間観は、儒家思想・儒教及び、中国文化全体で広く共有される。一方、荀子の唱えた性悪説は、異端扱いされた。
5、性善説と経済政策・学校の普及
・4で紹介した通り、孟子は人間の本来的善性を強く信じていた。しかし現実問題、不正や不道徳を働く人間は多く存在していた。孟子はこれについて、「人間は本来善なる存在だが、環境が悪くなれば悪に走ってしまう」と解釈した。これに関する有名な孟子の言葉として、「恒産無くして恒心無し(一定の財産や職業が安定していなければ、安定した道徳心は存在し得ない)」が挙げられる。確かに現代を見ても、孟子の言う通り、貧困と犯罪・不道徳は密接な関わりがある。
・では、どのようにすれば人間は本来の善性が発揮できるようになるか?孟子はまず民衆の経済状況を良くすべきだと考えた。具体的には、井田(せいでん)法(農作地を9つに分け、1つを税収用の農地とし、のこり8つを8つの家でそれぞれ分ける)という農業関係の政策を述べ、租税の軽減と土地の平等な分配を行えば、民衆が全体的に豊かになるのでは?と考えた。(孟子の時代には実施されることは無かったが、後世の均田法などに影響を与えている。)
・以上の政策によって、民衆の生活が安定した後は、人間本来の善性を伸ばすべく、教育する必要があると考え、現在の学校のような教育制度を提唱した。(当時は、一部の貴族や裕福な人物しか読み書きできない程の教育水準だった)
→このように性善説単体でなく、「経済政策や学校の普及」と合わせてみれば、孟子の性善説もある程度は説得力があるのでは?孟子の唱える性善説は、単なる「脳内お花畑のお人好し論」ではなく、しっかりと「環境」の影響を考慮した上での説である。ただし、弱点は多く存在する。
・例えば、以上の孟子の説が真実ならば、経済的に豊かでしっかりとした教育を受けた人物は、必ず道徳的でなければならない。しかし現実的にそうでないケースは、現代日本を見ても明らかである。(社長・議員などの収賄や癒着。高学歴の詐欺。有名私立学校でのいじめ…)少なくともこの点で、孟子の性善説は誤りであり、人間の性質を充分に把握することができていない。(そもそも人間の性質を十全に捉えるは難しいので、当たり前といえば当たり前だが…)
6、孟子の名言を紹介!(解説付き)
①人之患、在好為人師。
人の患いは、好みて人の師と為るに在り。(離婁上)
人の陥りがちな悪い癖とは、他人の教師となって何でも教えてやろうとすることである。
→人間は、少し知っただけで教師ずらして傲慢になり、自分の考えを他人に押しつけてしまうが、これは戒めるべきである。
Q:あなたは、少し知っただけで調子に乗って先生のように振る舞ってしまった経験はありますか?
②尽信書、則不如無書。
尽く書を信ぜば、則ち書無きに如かず。(尽心下)
本に書いてあることをすべて信用するくらいなら、むしろ本などないほうがましだ。
→情報を鵜呑みにするのではなく、批判的な見方を忘れないことが重要である。情報化社会と言われる現代に生きる我々に、重く響く言葉である。
※元々この「書」は『書経(しょきょう)』という特定の書物を指していたが、現代では一般的な書物として解釈されることが多い。
③人必自侮、然後人侮之。
人必ず自ら侮りて然る後に人 之を侮る。(離婁上)
人間というのは、必ず(まず)自分で自分を卑下し、その後に他者がその人を馬鹿にするのだ。
→「他者から馬鹿にされる根本的原因は、自分で自分を馬鹿にしていることにあるから、まずは自分が自分を認めて尊重すべき」という言葉。他人から認められたいのに中々認められない人は、まずは自分で自分を認めてあげる必要があるかもしれない。
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